【空港都市伝説】羽田空港の闇に葬られた飛行機

空港都市伝説

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羽田空港は日本で最も利用者の多い国際空港です。
利用者数は日本国内シェアの「57%」で世界5位

一日の離着陸数は「1200回以上」でコロナが明けた2023年度はなんと「7871万人」

フライトの出発点でもあり、終着点でもあるのが「滑走路」

この滑走路の地下には飛ぶことを許されなかった
「悲運の飛行機たち」が埋まっているという

つまり現在では飛行機の上を飛行機が走っているのだ
なぜこの妙な状況が誕生したのか

時は1945年、第二次世界大戦の終焉まで遡る
当時羽田空港は「軍事拠点」として利用されていた

空港内には数十機の航空機や大量の兵器などが保管されていた

終戦後、GHQにより日本国内における航空機の製造・研究は全面的に禁止された

結果、航空機関連の資料はすべて没収され、
空港内にあった飛行機や武器などはそのまま羽田空港の敷地内で廃棄された

終戦当時の羽田空港には「鴨池」という池があり、
ほとんどの航空機はこの池に投棄され、埋め立てられたという

この「鴨池」は現在、羽田空港の滑走路になっているのだ
埋め立てられて以降、「飛行機の上を飛行機が走る」状況が続いている

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羽田空港の滑走路に埋められた機体の中には、非常に貴重なものもある

東京帝国大学附置航空研究所(航研)が設計し、
1938年(昭和13年)に大日本帝国陸軍の協力のもと、世界記録を樹立した

この飛行機の略称は「航研機」
両翼が赤く塗られたことから
通称「真紅の翼」と呼ばれていた

実はこの機体、無着陸での飛行距離と
飛行時の速度において当時の世界記録を誇っていた

国産の機体が「世界一」だったのは、
後にも先にもこの時だけ

その名の通り両翼は赤く塗られており、鮮やかな外見が人気を集めた
1939年には、その姿が描かれた郵便普通切手が制作されている

前の動画で紹介したように
羽田空港に保管されていたこの機体も
GHQによる容赦ないスクラップの対象だった

現在は機体の現物は残されておらず、レプリカが一つ保存されているのみ

1日1200回を超える離着陸を繰り返す滑走路の下で、
伝説の機体は今日も「後輩」たちの飛び立つ姿を見守っているのかもしれない

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